10年来インデックス投資を見てきて思うことです。この業界って定量性が乏しいし都合の悪いことは改善ではなくて排除する傾向があるじゃないですか。このように「自浄作用」が無いことがインデックス投資の最大の課題だと認識するようになりました。
分が悪いことに対してもただ切り捨てるのではなく最上級の敬意をもって真摯に向き合うこと。「懐の深さ」とはすなわちそういうことを言うと思うんですよね。迎合的な議論だけではインデックス投資が進化しないと考えています。
そもそもインデックス投資はたいして論理的でも定量的でもないのに「インデックス投資最強」とか浮かれるのはよくない。未来の「マイナスサムゲーム」に対して責任を持つ気があるのかも不明ですし、地に足を着けて客観的に物事を判断することが「インデックス投資の矜持」と理解しています。
「インデックス投資が論理的で合理的とするならそれを論理的定量的に示さないとダメでしょ?未来に考えられる課題に対して対策を示さない単なるフリーライダーの何が論理的なの?」
・・・中立の視点から見ればこのような疑問が出ることは必然に思われます。
私の中のインデックス投資に対する諦めと、↑のようなことをインデックス業界が自覚してほしいという願いから、昨年あたりから自虐的なインデックスおじさんを演じるようになりました。以前からインデックス投資にはニュートラルな立場で割と厳しいことを書いてきたつもりですけど、このごろは界王拳50倍くらいで頑張っています。
もちろん分かってやっているわけですが。インデックス投資は実践しているので「アンチ」ではなく「自虐系」と呼称しています。
私が「自虐系おじさん」でいられる理由はおそらく以下だろうと考えています。
★インデックス投資が流行ろうが流行るまいが私には利害関係が無いから
ビジネスとか利権とかが絡むとインデックス投資の評判を落とすことは許されないんだと思いますが、「自己責任」という盾があるからって都合の良い話ばかりではないと考えています。前から言ってますようにむしろ私はインデックス投資がマイノリティであってほしい側の人間です。
★インデックス投資はもっと高尚であってほしいという願い
私が「理想」を求めすぎているだけでしょうか。所詮は『金儲け』のための一手段に理想を求めることが間違いということでしょうか。少なくとも、主体性や責任感なしに権利だけを主張することはインデックス投資に似合わないと考えています。
【まとめ】
定量性が無いからいつまでも水掛け論が終わらない。定性的で後ろ向きなスタイルでは「決定的に誇りが欠けている」。だからそれを改めたいというだけ。インデックス投資はその「フリーライド」という原理上、無責任な割に他人の努力や厚意に甘えすぎになるので、せめて課題の対応や定量化の観点からインデックス投資の高みを目指したい。
そう思いませんか?
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