このコラムを書かれている大江さんは普段私が感じている「市場とその周辺に対する違和感」を心理学で的確に説明してくださるのでとても参考になっています。
よく株価の変動で「xxぶりにxx円」とか「xx以来の下落幅」といった文字列を見ます。まさにこの記事の「参照点」という心理だと思います。個人的にはシグマでランダムにバラつく事象に対していつ以来とかどうでもいい情報だと思うのですが。
他にもいろいろあります。例えば最近よく聞くように「GPIFが株式の比率を上げる→株価が上がる」とか、それが年金運用や将来の給付にどのような影響を与えるかを論じずに、ただ単に個人の「願望」だけを文字にしているように見えます。あるいは「ボラティリティが下がってきた。大変だ」とか「円安=株価が上がる、の図式が薄れてきた」とか短絡的に目先の状況を騒ぎすぎではないでしょうか。
【日経平均とNYダウの推移(Yahooより)】
それまで何十%も上がってきたのに目先の数%の下落で騒がないでほしい。そして、少し下がっただけで「米景気不安、市場揺さぶる」などと、人間心理にわざわざ理由のない理由をつけようとする理由が分かりません(この見出しのロジックもおかしいと思いますが。不安がっているのは市場ですよね。内部の問題を外部の問題のようにすり替えないでほしい)。他に「プロの見方」など「どうなる」系含めて、誰も答え合わせせず、すぐに忘れられるから根拠の無い適当なことが言えるんだと思います。
いつまでも過去を繰り返して踊り狂ったりそれを実況中継して一緒に踊り狂うよりも、踊らなくて済むような対策を考えるべきではないでしょうか。
振り回されると言えば、投資の業界用語で個人的に嫌いな言葉に「ダマシ」というのがあります。勝手に決めつけて勝手に失敗しているだけなのになぜ他人のせいにするのか。またこの業界が願望を「観測」という言葉で表現することにも違和感があります。実験において統計を用いて有意性を厳密に議論する「観測」とは区別してもらいたい。また「催促」という言葉にも違和感があります。何かある度に緩和緩和と当局におんぶに抱っこでは、彼らの言う「努力しないインデックス投資家」と何も変わらない気がするのですが。投げ売ってクレームつけるだけで当局が助けてくれるなら羨ましい仕事だと思います。
なぜ「自分の願望や失敗の責任を他者に転嫁するような表現が多いのか」疑問を感じます。
このように、
「うまく行けば自分の手柄を強調、都合が悪くなれば他人の足の引っ張り合い」
(例えば金融危機の尻拭いを当局にやらせ、それによる全体の上昇を自分らの実力と勘違い)
「調子がいいときは気味悪いほどもてはやし、調子が悪くなれば手の平返してたたきつぶす」
(例えば「異次元のバズーカ→アベちゃん終了のお知らせ」)
「時流に流された判断基準のブレ」
(例えば「円高何とかしろ→円安は思ってたほど効果無いから要らない」)
「自分らは成長せずに踊り狂う一方、他人には常に全力疾走を要求」
(例えば「緩和が力不足」「成長戦略見えず」)
「ラクな安全地帯から他人の仕事を批判」
(例えば「ソニーはもうダメでしょう」(ソニーの特許読んでも同じことが言えるか?))
など、金融の世界に来てから人間の負の面を目の当たりにする機会が増えてストレスを感じることは多々あります。そういえばリーマンを引き起こして世界中に、しかも投資と関係ない人たちにまで迷惑をかけた連中は今どこで何をしているのでしょうか。
インターネットができてそういうことに簡単に曝されるようになったのも要因のひとつだと思います。情報が常に手に入るというのも考えものです。
しかしながら、これらは自分への戒めとして考えさせられるものです。例えば私もアセットアロケーションを期待値重視からシグマ重視に転換したように判断基準のブレを反省しています。
特に、客観的な根拠や対案も無く願望や評論を安易に振りかざすことは慎まなければならないと感じています。仕事でもなんでもそうですが、身勝手な要求を突きつけるだけでは周りはついてきません。
この業界の思考に染まることの無いように、視点を広くもち、ブレない判断基準で論理的に物事を考え、受け取るようにしたいと思います。
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