主に「情報の取捨選択」と「ブログ内容」に関してです。
【情報の取捨選択】
気をつけているというかうんざりしていることです。投資をやっているといろいろな情報にさらされます。「勘弁してくれよ(´・ω・`)」という情報が溢れています。
①「みんなも~している」という宣伝
例えば投信なら「あなたは買いますか?」と返せばいい。他人がどうのこうのは関係ない。
②「儲ける」という言葉
信用できるかどうかの判断基準。
③「勝つ」という表現
私もたまに使うので気をつけないといけないのですが、なぜそんなに「他人を出し抜いて他人より儲けよう」とするのか。なお私の場合は「客観的な結果が得られるように論理的な根拠をもって運用に臨む」ような決意の意味です。
④「~か」で終わる断定
第三者が勝手な憶測や願望を断定しようとして最後に「~か」という疑問形でお茶を濁す。例えば「今週の日経平均は反発か」など。「断定疑問」とでも言うべきの意味の無い情報です。「~も」も同様。
⑤結果前提の予測
例えば「雇用統計が良ければ上がるだろう悪ければ下がるだろう」といった結果前提の予測を見かけます。聞き手は結果が出る前にどうなるか知りたいのであって、±50%の予測など誰にでもできる。彼らは何も言っていない。「保険(免責)付き予測」とも言える。④と同様、根拠や確度の無いことをわざわざ言わなくてもいいと思うのですが、聞かれても「わからない」と言えない立場は理解できる。本質は聞く側の問題。
⑥統計を無視した予想
例えば「年末には日経平均2万円」という予想。確率的には3σ(0.3%)程度しかない分の悪い賭けです。④と⑤も含めて「予想ではなく願望」。
⑦願望だけの批判
例えば第三者がFRB議長や日銀総裁に対して「緩和が足らん」と批判します。自分の利益にならないこと、自分に都合の悪いことを他人のせいにするのはよくない。彼らはあなたのために仕事をしているのではない。
⑧「どうなる?」か知りたがる
確率でしか判断できないことをどうなるどうなると。それを知ってどうするのですか。
⑨誤差に理由をつけたがる
例えば「日経平均-0.1%。米株安・円高を嫌気」など。標準偏差でノイズ程度の変化しかないものにいちいち理由をつける理由がわからない(しかもTOPIXは+だったりする)。あと「x日ぶりに14400円を回復」のように100円単位で数字に拘るのも意味不明(10000とかキリのいい数字ならわからなくもないですが)。
⑩「試される」という評論視点
冷静でいられるか「試される」のは市場やその周辺では?当事者なのに他人事なのはいかがなものか。「問われる」も同じ。例えば赤字から抜け出せない某社に対して「改革遅れ」とか「成長戦略は?」とか。経営を問う前に、投資のように統計も知らない連中がプロと称して手数料を巻き上げる業界の「改革」や、バブル暴落同じことを繰り返す欲の皮の突っ張った市場、また某社と違い何も産み出さず安全な場所で評論を振りかざすだけの側の「成長」は必要ないのでしょうか。
これらは話半分に聞いておいた方がいいと思います。私自身も記事を書く上で気をつけたいと思っています。金融は基本的に主観と憶測だけの非論理的な情報で溢れています。何が正しいか何が本質かを自分で考え情報を取捨選択する習慣を身につけることが大切です。
【ブログ内容】
私もブログを書いている身として思うのは、「批判するのは簡単だ」ということです。
自分で何かをクリエイトするより、他人の仕事や結果を批評する方がラクです。例えば長期投資の確率を考えてグラフを描くより、新しいファンドが出てコストが高いと文句を言う方がラクに感じます。
私もたまにそのようなクレーマー記事を書いてしまうのは申し訳ないところです。そういうときは「じゃあお前やってみろ」とか「何か策でもあるのか」ということになるので何かしらの案は出したいとは思っていますが。
上記で挙げたように、予想という名の願望を根拠も無く展開すること、何か問題が起こってから外野が無責任にあーだこーだ論ずること、これらはブログを書く上で気をつけなければいけないと考えています。
私も評論家にならないように気をつけたいと思います。
【P.S.】
たまたまなんですが楽天証券のコラムで山崎元氏が似たようなことをおっしゃっているので別の機会に考えてみます。
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