分散して平均を求めるのがインデックス投資なのに、「インデックス内の国や通貨、銘柄の資産配分が偏っていること」が問題視されないことを疑問に思っています。
【日本株インデックスの純資産比率@2015/04/30(ETF1321/1306より)】
【グローバルインデックスの構成比@2015/04/30(スタム月報より)】
自分のアセットアロケーションをこんな風にしますか?
例えば日経平均株価はたかだか一社に指数変動の数%を占められています。(資産クラスの)アセットアロケーションが議論されてインデックスのポートフォリオが議論されない道理は無いはずです。特に時価加重インデックスは「配分がズレたらリスク管理のためにリバランス」という資産運用のお約束とも矛盾しています。
なぜインデックスは「ノーケア」でよいのか。
まずユーザーの立場から考えると、現実問題としてインデックスは我々が自由にウェイティングを制御できないので。だから身近な資産配分だけはケアしましょうということなのかも知れません。
別の見方をして「世界の流れに乗る」というのがインデックス投資だとしたらそれが普通なのかも知れません。世界経済の成長に乗っかるということは偏り(最近の言葉では格差?)を許容するということなのかも知れません。考え方はいろいろあると思います。(たとえバランスが崩れても株式は時価総額で力関係を示せてよいのかも知れませんが、債券は借金の額を競われても困るといったところです。)
逆に運用側の立場から考えると、そもそもインデックスは「ベンチマーク」として作られたものであって分散投資とか資産運用云々が目的ではない、ということは考えられると思います。特に指数の連続性や流動性等の課題に対する配慮はある程度必要になると考えられます。
それをインデックスファンドに適用する際に、「インデックスは統計的性質などどうでもよくて手間とコストを最優先すべき。なぜなら時価加重配分でもランダムノイズの低減に限ればすでにサチっているから。こまけぇこたぁいいんだよ!!」といった明確な背景とポリシーがあり、それが関係者にオーサライズされているならよいと思います。ユーザーはシステマティックノイズの低減(アセットアロケーションの効率化)に注力すればよいということなのでしょう。
実際のところ、「市場が決める価格が王様である」という金融の論理においてはベンチマークとして時価加重は当然の帰結であり、分散に対する疑問は発生しなかったのだと考えられます(分散の統計的合理性は考慮されてこなかったと思われます)。インデックスファンドにとっても、時価加重は金融機関の手間(コスト)や流動性の面で都合がよかったのだと思います。
おそらく矛盾の発端は「市場が付ける価格が正しいわけがない」という思想が根底にあることだと考えています。将来の変動が現在の時価に依存しないことはある意味自明です。インデックス投資が「平均」を求めるといっても加重後の「市場平均」であって「相加平均」ではないです。加重されているということは特定の「判断」が入っていると捉えることもできます。それがインデックス投資が「Better」止まりであるゆえんだと思いますし、機械的であるべきインデックスの課題だと考えます。
個人的には市場はシグマを増大させるだけという認識なので統計でなんとか押さえ込みたいと考えています。「分散しましょう」と言っているのに肝心カナメの指数の分散がおろそかになっているのがインデックス投資ですから。
コストと「統計に基づいた分散」との両立は難しいのかも知れませんが、課題を解決して実現させるのが「仕事」だと思います。コストを下げることだけでなく、分散の観点からインデックスの性質を議論し、指数としての「効率」を上げることもインデックス投資に必要な考え方ではないでしょうか。
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