※画像は富良野スキー場のツリーランエリアのモノクロ仕様です。
インデックス投資の「迷いの森」シリーズ第2弾。
【考察】
インデックス投資は市場平均(時価比率)を主な投資対象としています。
その市場平均は市場心理に振り回されているように見えます。なのにどうしてインデックス投資は論理的とされるのでしょうか。また、場当たり的な変動を繰り返して指数のロスを助長する市場を、なぜインデックス投資は絶対的な合理に据えるのでしょうか。
それこそインデックス投資の「オーバーコンフィデンス(過信)」ではないかと疑いたくなります。
さらに、数学や統計学に立脚した指数を"コストだけで"排除しようとすることが気になります。
定量見解なくコストだけを判断の指標とすることもまた「オーバーコンフィデンス」ではないのでしょうか。
市場ポートフォリオが分散特性で万能でないことは示すことができます。例えば、以下のような観点から。
・バラツキの抑制
・平均値の確率
・リスクに蝕まれるリターン
一過性の「イベント」に右往左往して指数の効率を落とすことが効率的なのでしょうか。
市場ポートフォリオは時価に比例してウェイティングを強めます。
・シグマの小ささ
・期待値の大きさ
・配当の大きさ
これらが「現在」の時価に依存するのでしょうか。コスト合理性と統計的合理性は必ずしもリンクするものではないと考えています。時価をコストだけで合理と判断するインデックス投資はそのへんの裏が取れているのでしょうか。
論点は「コストで合理だから時価を用いること」ではなく「コストで合理な時価を肯定するために都合のいい理屈を構築していること」と考えられます。言うまでもなく、コストを抑えられることは歓迎されるべきことです。しかし、そのロジックや仮定が「オーバーコンフィデンス」のように感じられます。
無論、定量サイドも「オーバーコンフィデンス」にならないように注意する必要があります。
【まとめ】
定量的な裏付けなく可能性を斬り捨てられるその自信の原材料を2ミリグラムでいいから僕にも分けてほしい。
インデックス投資はコストを盾に他をすべて排除するのではなく、客観的に考察を深め、コストと定量性をバランスよく進化させていくのがよいと考えます。また、フリーライダーならフリーライドしているなりの謙虚さが必要ではないでしょうか。
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1. 無題
ファンダメンタルインデックスなどは勝手にモデル化した結果の話をしてますが、そのモデルが十分にこれからの将来の株価変動などを説明しうるという根拠がなければ、ただの仮説に過ぎません。言ってしまえば「株価の低い銘柄を買っとけばいい」という乱暴な投資法と同格です。
過去に対して有効と言ってもカーブフィッティングかもしれません。
現時点で実用に耐えうる定量的な説明といえるようなものなんてないと思うのです。で、インデックスとかファイナンスの研究してる人は黙って時価総額受け入れているのではなく、日々使えそうなもの研究してて、やっとファンダメンタルインデックス等が仮説として唱えられるレベルになってきたという話かと。
もちろん信頼できるものではなくても、その仮説を信じて投資してもいいとと思うのですが、それは従来の時価総額を信じるのと大差なしでは。
薬作ってる身としては、あくまでロジックはおまけけです。化学反応や数式では効果ありそうというのはあまり価値がありません。あくまで「効くから効く。安全だから安全。」。
将来的に科学が発展すればロジックが強くなるかと思いますが、今の科学は実験室やモデル化された世界のみでは通用しても実社会を説明できるレベルに達してないと思えてなりません。